2014/12/12

【初公開】弥栄モデル

こんばんわ、坂口です、
今月もあっという間に半分が
過ぎようとしてますね。







クライアントさんの多くは来年に向けた
計画の骨子を完成し、晴れやかな気持ちで
今年を終えれそうです。









ん?僕ですか?
そうですね・・・・









・・・・f^_^;









☞ ☞ ☞







さて、unreveのFC構築の
根幹となるリゾーム派生、







このブログでは、抽象概念ばかりの
説明でしたので、具体的にイメージ
できない人もいたかと思います。







そこで、今回はこのリゾーム派生を
支える構造理論「弥栄モデル」を
実際に図で説明してみます。









それがこちら↓











上図の「赤と黄色」とは、対立二項。
言わばコインの「裏表」です。







それは「ニコイチ」である以上、
比率の変化こそあれど、一極にはなりません。







コインの表だけ、光だけ、朝だけ、
幸せだけ、女性だけ・・・・には、ならないんですね。







つまり、それが何を意味するか?






「絶対的な一つの表象」は
存在しない(認識できない)ということです。







これが西洋宗教の大きな間違い。
一神教とは、こういった「表だけ」を是とします。







しかし、幸せだけの人生、
強さだけで作られた人間なんて、
(現実では)ありえないわけです。





形而上では存在するかもしれない、
しかし、言語(言挙げ)した時点で
「対象A」には、必ず「NOT A」が生まれます。







故に、「これが絶対正しいんだ!」
という、思想は外部に出すもんじゃない。







証明不可能なものを、いかに
内部に持ち、それを「信じれるか」。
これに尽きます。






故に、「情熱」という、
「あなただけの羅針盤」が必要なんですね。





☞ ☞





現実はこういった内外の二項が交わり、
対立することで、「創造」されると思ってます。







以前、「三十字の理」で説明したように
男性と女性によって、「子」が生まれる、と。







言わば二項の「葛藤」ですから
創造には苦しみがセットなんですね。







釈迦は苦しみから逃れるため、
「中庸・中道」を説いたのですが、







それはこの世界になにも創造
しない、という訳ではない。







これはゲシュタルト、「眺める」ための
メタであり、面思考であり、縁起思想、







そこから「確実性」を作る決断こそ、
「自由(自らに由る)」ではないでしょうか。







☞ ☞







そこで「志向性」の登場です。
unreveはこれを「理念」とか「道」とか言ってます。







それらは目指すべき「月」であり、
容易に手が届く場所にはありません、
そもそも手に触れることはないでしょう。







よって、究めれば、究めるほど、
言葉はシンプルになっていきますが、







その背後には膨大な、膨大な
「葛藤と選択」がらせん状に起きているのです。







ここに目を向けたのが「回帰論」です。
上の図で言えばちょうど
左右対称の「円(まる)」になっていますよね。







これが続けば「8」の整数になり、
コロッと寝かせば「無限大(∞)」になる。







それをさらに繋げればどうなるか?





我々人間を人間たらしめる
DNAの螺旋構造が出てきます。





ちなみにこちら、医療のシンボルである
アスクレピオスの杖。










まるで二匹の蛇が対極の位置を保ち、
一つの「志向性」に向かい、「蛇行」しているようにも見えます。




この中央を突き抜ける「一つの志向性」とは何か?





そういや蛇って不思議なもので、
聖書には度々登場していますね。




こちらの動画を見ても面白いかもしれません(゜゜)









相似律と向かうべき志向性は
世の理かもしれない、と






当時、オタク真っ盛りの僕は
思ってたんですが、







今はちょっとだけ現実的・論理的に
話せますな(笑)




☞ ☞





閑話休題、
我々はこの「志向性」を通常、
意識することができません。







しかし、過去を振り返ってみた時、
絶妙なタイミングに驚く事があるでしょう。





それこそ掴むことのできない
「志向性の袖」ではないでしょうか。







ここを明確にするなんてナンセンス、
形式化なんて、できるもんじゃない。





まるで、その対象を描くのではなく、
輪郭や風景から描き始めるかのようです。







すると驚く事に、自分の目指すべき
志向性がうっすらと見えてくる。
もしかして、これが「中庸」かもしれません。




金や名誉を目的化している時は
まず、見える事はないでしょうが、







日本流の精神は(多分)

この「志向性(道)」を目指した。





これを継承する為に、(たまたま)
僕はFCを構築しています^^





最後はまた抽象的になりましたが、
皆さん、くるっと回帰できましたでしょうか?









もちろん、これだって「絶対」では
なく、「いちモデル」にすぎませんので、あしからず~パー


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